タイムカード

 今回開業して、職員に給料を出すようになったが、これがなかなか大変なことであることがわかった。これまでは、病院に行き、タイムカードを押して、1ヶ月分のタイムカードに基づいて給料をもらうだけであったが、今度は自分が払うようになったのである。これがなかなか大変で、タイムカードに基づいて、時間を計算して、その時間に応じて税理士さんに給料計算していただき、これを振り込むのであるが、診療所のような職員の少ない場所でも、タイムカードの計算はかなりの労力を要する。ましてや、何百人も職員のいる病院ではかなり大変な仕事であるものと思う。この仕事中、気づいたのであるが、タイムカードにも個性がある。タイムカードの名前や使用月は自分で書いていただいているのであるが、今回で言えば、表が9月で裏が10月のタイムカードであるが、月や自分の名前を自分で記載していただいている。今回であれば、表に9月、裏に10月、さらに、表と裏に名前を記載していただくこととなるのであるが、今回、9月だけ書いている少しずぼらな職員さんもいれば、表にも裏にも9月と書いているうっかりさんの職員さんもいた。さらに、9月と10月の両方をきちんと書いている職員さんもいるものの、字はきっちりしているがかなり小さい字で書いているものもあれば、ダイナミックな大きな字で書いているものもある。まるで指紋のように、その人その人の性格を映し出すように、一つとして同じものは無く、一枚一枚違っているのである。タイムカードの計算はしんどかったが、これらのタイムカードと職員さんの性格を照らし合わせるのは、少し楽しかった。これからも、いろいろな発見があるものと思うが、その度に、面白いことがわかるに違いない。やはり、自分でやらないとわからないことが世の中にはまだまだあるものだと思った。

待ち時間

 しばらく、ブログを更新できずにいた。ここ1ヶ月夢中で時間が過ぎていった。ありがたいことに、来院患者は徐々に増えてきている。まだまだ、多い日と少ない日でかなりの波はあるものの、1日あたりの患者は最低でも10人ほどは来院するようになってきた。これに伴い、少ない日は問題ないのであるが、多い日の患者の待ち時間が非常に気になる。少しでも待ち時間を感じずに済むよう、雑誌を置いたりしてはいるものの、体がしんどいときに待つ時間は苦しいものと思う。何とか少なく感じてほしいと考えているつもりではあるが、なかなか良い方法が思いつかない。プロパーさんの一人が教えてくださった、月報を書いている先生がいるとの情報をもとに、医院の宣伝もかねて10月の月報を書いてみた。これも一読していただき、少しでも待ち時間を少なく感じていただければ幸いである。ちなみに医院にはテレビを置いていない。脳外科という診療科では、頭痛や眩暈の患者が多い。目から入る刺激の強い情報は、これらの症状をより悪化させるのではないかとの考えを私は持っているため、あえて置いていない。窓から入る光も、少しでも柔らかくなるよう、ブラインドではなく障子にしているのも、この為である。順番を待っている間にも、少しでも楽になっていただければと考えたつもりである。
 また、医院という性格上、子供の患者も多い。子供はにぎやかなものである。なかなかじっとはしてくれない。周りにいる病人にも無頓着なものである。それを微笑ましいと考えてくれる人もいれば、うっとうしいと考える人もいると思う。私には子供が4人いるが、外食等した際も、子供がうるさくすると、周りの人に気兼ねしてしまい、落ち着かない気分で、かなりのストレスであった。基本静かな空間を作成したいと思ったこともあり、待合室にはソファーを置いた個室的な点滴室を作っておいた。点滴室はもう一つ別に奥にも作ってあるので、この部屋で子供を自由にしてあげれば、お母さん方も少しは気が楽ではないかと思う。ジュースでも飲みながら、自由に使っていただければ幸いである。
 現代社会は刺激が強い。色々な情報が一方的に脳に入ってくる。当院にいるときぐらいはゆっくりしてほしい。最後に、医院には音楽をかけている。静かな曲の時もあるが、J-POPがかかっている時もあり、結構若者向きの、にぎやかな曲がかかっていると思われた方も多いと思う。実は、以前勤務していた病院の看護婦さんの学会発表で、手術の際、手術室でかける曲の種類と心拍数の安定度との関係に関する発表があった。この中で、心拍数が最も安定したのが、クラシックや静かな環境音楽ではなく、日常生活でよく耳にしているJ-POPであったとのデーターがあったのである。この為、当院では色々なジャンルの曲をかけるようにしている。
 これからも、色々工夫していこうと思うので、待ち時間が多いときにあたった際は、何とか御容赦下さい。

波が・・・

 医院を始めて、24日が過ぎた。この間、患者の多い日もあれば、少ない日もあった。最初の頃は、少ない日は1人の日もあった。こんな事で大丈夫なのかとも思いながら日々過ごしている。徐々に増え始めているものの、多い日でも20人までは行かない状態で、やはり不安は拭えない。さらに、多いときの患者は、必ず同じ時間に来院し、そのため、その時は待ち時間が極端に増加する。もう少し時間をずらしてくれれば、もっと待ち時間も少なく、ゆっくりお話が出来るのにと思う。なるべくばらけるように、薬を処方する日数を加減しても、やはり波があるのである。病院勤務ではわからなかったが、おそらく世の人々の生活リズムが、曜日を含め、似通っており、医院に行こうと思うときが一緒で、このため、来院人数に波があるんではないかと思った。長く開業されている先生方は、この波に、うまく乗るようにしているのだろう。波にうまく乗る事が出来れば、いつもすぐに診てくれる医院となり、うまく乗れないといつも診てくれないし、待ち時間も長い医院となってしまうのではないかと、色々考えてしまう。
 私がこれだから、スタッフはもっと不安であろうと思う。こんな状況だから、毎日決まって挨拶に来てくれる、心地よいさざ波のような業者の方々の笑顔が、不安になっている私にはうれしい。ついついしゃべり込んでしまう。忙しい業者さんにとっては迷惑な話だ。けれど、不安な私にとって、ニコニコと話を聞いて、相づちを打ってくれる業者さんは、一服の清涼剤にも神様にも思えているのである。もしも、今後、患者が増えて、うれしい悲鳴を上げるようになっても、この寂しさを紛らわしてくれた業者の方々への感謝を決して忘れないようにしようと思った。

救命

 しばらくブログを更新していなかった。実は、9月19日0時20分、親父が他界した。9月11日に入院し、9月13日に手術。その後3日で急変し、急変後2日での他界であった。全く元気であったので、突然の出来事であり、まだ現実のものとして受け入れられない所もある。直前に、真新しい医院を受診し、息子の医院で診察してもらえる事を非常に喜んでいた笑顔が忘れられない。縁起でもないが、今でも待ち合いに親父がいる気がしてならない。
 医師として、親父を救うべく、人工呼吸器・サイトカイン吸着・透析を含め、自分の考えられる限りの救命処置を最後までしたが、全く歯が立たなかった。最後に私の身につけた知識や技術の限界を思い知らされた思いである。また、入院していた病院では、主治医の先生の身をていしての一生懸命な姿を見て、頭の下がる思いであった。
 私も7月末までは救急病院で同様の現場に身を置いていた。その際、今回の主治医の先生同様、基本的に医師の仕事は救命する事と考え、老若男女を問わず、家族からの希望が無い限り、可能な限りの加療をするよう心がけてきたが、自分が当事者になって、やはり出来るだけの加療をしてきた考えに間違いは無かったと思った。まだ医師になりたての頃、脳外科という立場から、助かっても寝たきりだからとか、高齢だからとかの理由で、決して手を抜いた訳ではないが、これ以上しても仕方が無いのではないかと考える事が多かった。ある時、80歳前後であったと思うが、寝たきりで入院していたおばあさんが亡くなったが、毎日看病にきていた、同様に高齢のご主人が、大声で泣いている姿を見て、どんな状態でも生きてそこにいる事が大事なんだと思った。以後、特別に家族からの希望が無い限りは、どんな状態でも呼吸器や気管切開を含め、自分が出来るすべての加療を施行するように心がけてきたつもりである。医師の仕事はまず第一に救命のため全力を尽くす事だと思うし、生命に対しては常に真摯でなければならないと思い、MTの際は家族にそう話すようにしてきた。唯一の例外は、患者を良く知る家族が、本人のためを思い、諦めた時、その家族の気持ちに答えるときだけであると信じてきた。
 今回私は親父を助ける事は出来なかったが、呼吸器や吸着、透析と、すべての加療をする中で、どんな状態でもいいから親父に生きてそこにいてほしいと思ったし、力及ばず亡くなったときも、これらの処置をしていなかったら、後悔したと思ったし、処置をした事で後悔の気持ちは無かった。また、これだけの加療をするにあたり、主治医の先生やスタッフの方、病院にはかなりの迷惑をおかけしたこともあり、これらの方々に感謝こそすれ、親父が死んだ事に対して何も思う所も無かった。永遠に生き続ける事の出来る人間はいないし、死はいつか訪れると思うし、それも運命であると考えた。
 昨今、医療訴訟等、司法が医療現場に入る事が多いが、何とか助けようとする気持ちが、家族や病院や医療現場に強ければ、たとえ不幸にして救命処置が身を結ばなかったとしても、仕方ないと納得できる所があると思うし、医療訴訟も生じないのではないかと思う。この気持ちは、感情のものであり、法的に善悪で判断できるものではなく、そこに生命に対する一生懸命な気持ちがあれば、たとえ技量的な問題で救命に至る事が出来ない状況であったとしても、その時でき得る最大の事をしていたものと考えることが出来るし、納得いくものと考えられ、医学的にどうとか、司法的にどうとかという考えは、全く関係ないものと考える。今回、親父が亡くなるにあたり、主治医の先生もなぜこのようになったのか理由がわからないとの説明であり、法的に言えば説明不十分とか、治療が間違っているのではとなるのかもしれない。でも、救命のため一生懸命になっている医療現場を見れば、主治医やスタッフの方々や病院に対して、家族としての私には何も思うところは無かった。今回の経験から、やはり、家族から救命方法についてクレームがでるとすれば、よく言われる説明不足とかではなく、医療現場が一生懸命になっていなかったか、一生懸命になっていなかった家族が自分に対しての歯がゆさ故に、医師に対して歪んで感情が向いてしまった場合ではないかと考えた。なお、少なくとも救急病院で頑張っている先生には、私の知る限り、一生懸命でない医師はほとんどいないように思う。
 7月末まで私は月の約1/3を病院で過ごしていた。救急病院の医師は自分の命や人生を削って治療しているのであり、生命の灯火の現場に身をおいている人は、スタッフや家族を含め、基本的に生命に対して真摯で謙虚で真面目である。
 今回、開業し、救急ではなく診療所として治療に当たる立場になった私に、今まで同様、生命や医業に対する一生懸命な気持ちを忘れない事や、命のはかなさ、人間の運命の不条理など色々な事を、今回再度親父に教えられたようで頭の下がる思いである。
 いつか、親父に会うときは、胸をはって会えるよう、また、そんな私の姿を喜んでもらえるよう、これからも頑張りたいと思う。少し寂しいとは思うがそれまで親父には待っていてほしい。

医業について

開業して1週間が過ぎた。病棟や手術室あるいは救急中心から、外来中心になって思うことがある。

生活の基本はそれほど変わらない。病院では救急処置をしたり、手術をしたりし、何とか一命を取り留めたとき、本人や家族から感謝され、やりがいや幸せを感じていた。現在、診療所では、患者の相談に乗って、現在困っていることや苦しんでいることを聞き、何とかならないか相談に乗ったり、薬で何とかならないか工夫したりと、より生活に密着した、患者の、より泥臭い生命に関わっているような感じである。また、今までは、治療でどんなに頑張っても、患者や周りからは感謝されるものの、直接は自分の収入には関係なく、自分の治療に対する病院からの評価はあるものの、いずれもどこかしらぼやけた印象で、周りからの感謝の言葉があったときはうれしいものの、実際、できる限りの仕事はしたつもりではあるが、どこかサラリーマン的な部分が完全には消し去れず、自分の治療は周りからの評価に値するのかどうかを気にしているところがあった。
一方、診療所では、その時の治療に対してダイレクトに診療費が支払われ、自分の治療に対する評価をその場でくだされるので、その治療が十分であるかどうかが、より厳しく評価される印象があるものの、逆に周りの目を気にせず、自分の信じている加療を自由にできるところがあり、それに対する評価としての報酬を、その場でもらえることが、自分は医師の技量を買ってもらっているという実感を、より現実的に感じさせてくれる。また、自分が人の為に何かをすることを生業にしているという実感や、今まで磨いてきた技量に関しても、初めて現実のものとして感じたような気がした。
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